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report:7 激動の?生い立ち-亮太編3- [一姫三太郎]

亮太が1才半の頃、妻は亮太を連れて、ここ茨城から約800キロ離れた青森で別の生活を始めた。

別れの日、亮太の寝顔を飽きる事無く眺めていた。車で去っていく亮太が見えなくなるまで手を振った。

アパートに帰ると、亮太との思い出が詰まった部屋が「お前の身勝手で子供はこれから苦労するんだ」と僕を責めているようで、いてもたってもいられなくなり、床に敷いてある子供用のスポンジマットぬいぐるみおもちゃなど、一心不乱に片付けはじめた。寂しさと情けなさでバカみたいに泣きながらゴミ袋に押し込んでいた。

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そのお別れの日までの約2ヶ月間、僕と亮太とのマンツーマン生活があった。それまでろくに育児参加せず、オムツ替えができるくらいでいっぱしのいい父親ぶりを気取っていた自分は、子育ての大変さを思い知らされたと同時に、実際に育児をすることでしか感じる事の出来ないたくさんの思いと、一生忘れる事のない、忘れたくない思い出をもらった。

はじめての言葉「シャランラ~ン♪」:
これは、TV番組「中居の金スマ」のジングルで、音程もしっかり合っていたよ~!

ストレス爆発:
ご飯やジュースをこぼす事はしょっちゅうなのだが、一番すごいのは、ちょっと目を放したスキにストロー付きジュースをブンブン振り回し、部屋の壁一面と、ソファー、床などがオレンジ色に染まった時!!怒りをどこに向けたらいいのか分からず、奇声を発していたような記憶がある。でも、今思えばいい思い出だぁ。

先の見えない日々だったのに、妙に充実していたなぁ。

生みの親より育ての親なんて言葉もあるが、男は特に自分では子供を産めないので、子育てをすることでしか本当の実感は生まれないと思う。

この2ヶ月の育児経験は僕にとって一生の宝物。この経験を与えてくれた全てに感謝している。
↓当時の亮太↓

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亮太と離れてから2ヶ月、妻と亮太が実家に帰る為茨城に一時戻って来るというので、駅まで迎えに行った。
亮太に会える!!という嬉しい気持ちと、
僕のことはきっと忘れているだろう。。という半ばあきらめの気持ちとで、改札で二人を待っていた。

しばらくして、大きめの荷物と一緒に二人の姿を見つけた。二人は改札を抜け、僕はそれを見届けてから亮太を持ち上げた。
亮太は僕を見て微笑み、その小さな腕で、僕の肩をギュッ、と抱きしめてくれた。
(覚えていてくれたんだ。ありがとう、亮太。)
僕はありったけの思いで亮太を抱きしめてやった。この気持ちを絶対忘れないとココロに誓い、改札ロビーの隅に立ち、幾度となく「ありがとう」と声にならない声でささやいた。



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